内気な30代の日々の記録

場面緘黙な学校時代を過ごし、大人になっても内気なままの30代新人看護師の日々感じていることをつづります。

わいわい食事についていけなかった件。

私は自分から誘える性格でなはいから、誘われた時はなるべく断らないように心がけていた。
みんなでの食事や飲み会は、行く前はすごく不安が大きいけど、行ってみると楽しかったり、よかったと思えることもある。

しかし、今日は全くそこにいる意味が分からなくなって、楽しめたともいえず、なんとも言えない気持ちになった。
職場の人の友達(全然知らない人)も入り混じっての食事。
私には中身のある会話があったようには感じられず、軽いその場のノリや突っ込みの連続だったとしか感じられなかった。
そしてそのノリにどうのったらいいか、返したらいいかもさっぱり分からず。

私なんでそこにいたのかな?
のけものになる寂しさや私のいない時間をみんなどんな風に過ごしてるのか、気になってしまう。そんなレベル。
そんなこともっともっと若いうちに考えることだよね?

素敵に思う人がそこにいるから、見ていたいというのもあったんだけど。
ああ、でもついていけなかったから、やっぱり全くこの人と一緒に過ごすのは無理なんだな、と感じる。

人との付き合い方、そして自分が生き易いように自分の性格を改善できる部分はあるのか、について考えてみる。

ネットで検索した意見の中から。
 「楽しそうにお祭騒ぎ」=表面的な明るさ、よりも、「自分が相手に理解されている」「もっと友達の精神世界を知りたい」と内面の充実を感じられる人付き合いの方が好みではないのか。
 「みんなが楽しそうな大騒ぎを、私だけが楽しめない」という思いは孤独に繋がる?
そしていろんな人とどんな人とも楽しく付き合えるほうが学びも多いのではないか、という想い。
義務感から参加していないか?薄っぺらい付き合いより充実させたほうがいいことがあるのではないか?
 時間・気力・体力・お金には限りがある。
 限られた時間や気力を誰のために使うのか…心の底から大切と思える人のためだけに使う方がいいのではないか。
 数は少なくても心を許せる親友がいるということがどれだけ恵まれているか。

この文を読んで、すごく納得がいった。
私は何を焦ってるんだろう。もっと自分の内面を見つめて惑わされず、大切なものをみきわめなきゃいけない。
参加するなら参加するで、もっと自分を出してみるとか、試行錯誤するならともかく。
あわせてばかりでどうするか迷って落ち込むなら。何の意味もないよ。チャレンジするなら試すんだ自分を。
 

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